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倉田 明子(1999年卒業)

地域文化研究への興味

私は1995年に文科三類に入学、97年に教養学科第二(地域文化研究分科)のアジアの文化と社会コース(通称「アジア科」、現在のアジア・日本研究コースの前身)に進学しました。もともと高校時代に中国の近現代史に興味を持ち、その分野を勉強したいと思って入学しましたが、入学後、東洋史学科ではなくアジア科への進学を希望するようになりました。基礎演習の担当教官が偶然ながら中国近代史専門の故並木頼寿先生だったこと、中国語やそのほか様々な教養科目の講義を受ける中で、駒場の教養学科の幅の広い(いわゆる「学際的」な)学問に触れたこと、のふたつの出会いが大きく作用したように思います。

現在のわたし

アジア科進学後、中国の近代とキリスト教の関わりに関心を持ち、太平天国を研究しようと思うようになり、卒業後もそのまま駒場の総合文化研究科・地域文化研究専攻の大学院に進みました。修士課程を経てさらに博士課程に進み、2008年春にようやく博士課程を満期退学しましたので、結局、文科三類入学以来13年間駒場に在籍していたことになります。この間アジア科の一つ先輩(その後の大学院も同じ専攻)と結婚しましたので、アジア科とはダブルで深い縁があります。その後、博士論文を書き終え、現在はいくつかの大学で中国語や中国史を教えながら研究を続けています。

学部時代をふりかえって

アジア科での2年間は、私にとってはさまざまな意味で思い出深いです。先生にせよ学生にせよ、それぞれが持っている専門性や関心は、アジアのなかの様々な地域(よく、「アジア科の守備範囲は、西はトルコから東はニュージーランドまで」などと言われました)や分野(政治・経済・歴史・言語・文化…)ごとにばらばらでしたが、そのなかで、多様な顔ぶれで多彩な授業を受けられたことは、自分の世界を広げ、思考力を鍛えるよい機会だったと思います。自分の関心の所在を知り、研究対象を見つけ、研究の道に進もうと決めたのもこの時期でした。また、授業だけに限らず、8号館の「アジア科部屋」に毎日のように集まり、同期だけでなく先輩や後輩も交えておしゃべりしていた時間も楽しいものでした。私は今、自分の研究上、香港との関わりがとても深いのですが、その香港に初めて行ったのはアジア科の同期のメンバーとの卒業旅行でした。飲茶や夜景、新界探検など、仲間とわいわい楽しんだ思い出は、私の香港イメージのベースになっています。

AIKOM

ただ、私がアジア科の学生として駒場で過ごしたのは、実は通算で1年間(2学期)だけ、3年生の後期から4年生の前期の間はAIKOM生として北京大学に留学していました。こちらの経験も駒場での経験に劣らず、私のなかで大切な位置を占めています。研究者としての今の自分に関わる部分では、やはり中国語を身につけることができたのは大きな収穫でした。発音や聞き取りなど実地訓練の必要なスキルを20代初めのうちに鍛えられたことは、今、中国語を教えたり中国や香港の学会に参加したりするときの自信にもなっています。

また、中国という国や社会、人々と直接触れ、様々なことを感じることができたこと、無二の親友を得たこと、など、AIKOM留学の1年間は、私の研究生活・私生活の垣根を越えてベースの一部ともなっています。

「アジア科」とわたし

アジア・日本研究コースの醍醐味は、多様なアジア、ひいては多様な世界を知り、考えることにあるように思います。そして意欲さえあれば、その地域に留学しその社会を直接体験できる環境も整っています。今振り返ってみて、やはりここでアジアの「おもしろさ」に出会えたことは、私にとって大きな財産になっていると思います。

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